2013年3月11日

生きていてこそ。

2年前の今日 忘れ去る事が出来ない出来事。。。
黙祷。
窓を開け、柔らかな陽射しを受けながらテレビの時報と共に手を合わせた。
2011年3月11日午後2;46に東日本大震災は起こりました。

当時 私は翌日大阪へアラカイレッスンの出発にあたって近くの大型Mr.Mスーパーに居ました。
奥のお酒売り場の通路にいた所『あっ!地震』・・・と、天井からの蛍光灯を見上げ確認。
いつもなら数秒で揺れはおさまるけど、揺れはますます大きくなり
そのうちに今まで経験のない揺れを体験しました。
怖くなりカートをその場で置き去りにし、近くに居たおば様と『外に出た方がいいかも!』と
声を掛け合い外へ避難した事を思い出します。

エントランスの近くに駐車していた自分の車に乗り込みラジオを付け状況を確認
周りの人々が地面に座り込み、互いに体を寄せ合い不安そうな顔は今でも忘れられません。
私は東海道地震?と思いましたが 震源地は違いました。
急いで東京に居た母に連絡を取りましたがなかなか電話が繋がらない。
闘病の母が心配でつながるまで何度も掛け続けたのを覚えています。
母の声を聞いて安心した後、
近くの道路はすでに渋滞が始まり、自宅まで裏道を使いながらもかなり時間が掛かった状態で家に到着しました。

その後も余震は続き 玄関を開けたままTVをつけ江の島の映像を見ながら避難する用意をしていました。
江の島の海面は見た事のない所まで潮が引いていて 一気に満ちてきたら走って高台まで避難するつもりでした。
その後はもっともっと大変な事態 ・・・大津波 原発事故 たくさんの行方不明者
・・・・2年経ったいまでも決して忘れる事の出来ない出来事です。

人が集まりお互いを助ける。自然に言葉なくとも行動がでる。
私たちの小さな社会 家族で始まり学校や職場 そしてご近所
このブログを読んでくださっている 私たちが集う『フラの仲間』。
血のつながった家族では無いけれども大切な仲間。
些細なケンカ後、もしかしたらもう二度と逢う事が出来ないかもしれない。。。
そう思うと 本当に必要のない事。
誰にでもあやまちはある。
大事なのは許す事。
相手を許せる事は自分を許す事。
言葉不足だったり、勘違いだったり お互いの意思がうまく伝わらなかったり。


先月の2月19日、10代から付き合いのあった友を失いました。
お互いに いつでも電話での一声は『生きてる?』『とりあえず!』が合言葉のように。
病気だったから覚悟はしていたけど。。。。やはり・・・キツイ。
今まで居た人が突然いなくなる事は どんな理由や状況においても『慣れる』と言う事はない。
数年経って笑顔で会える事が出来るのも 『生きていてこそ』 
私たちの学んでいるハワイのフラも日本の美徳と同じく 『礼に始まり礼に終わる』
相手の心づかいに対する感謝の気持ち。
短い時間の中でも、共に時間を過ごし楽しく踊った思いは忘れないでほしい。。

この時代メールで簡単に済ませてしまう事ができる中こそ
最後は言葉を交わし お互いに笑顔で挨拶し、次も笑顔で出会える為
失ってはならないものなのではないだろうか?

     
      

      東日本大震災で尊い生命をおとされた方、
      大切な人を亡くされた方、心からご冥福をお祈りいたします。




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